フレーザー幼稚園の歩み

フレーザー幼稚園は今年創立
110年目を迎えました。
フレーザー幼稚園の源流をさ
かのぼると何とも不思議な神
さまの摂理としか思えない出
来事と遭遇することになりま
す。
日本に幼稚園が誕生したのが
1876年の「東京女子師範学
校附属幼稚園」だと言われて
いますが、ちょうどその時か
ら20年の歳月を経て本園は
1896年に「広島女学校(現在
の広島女学院)附属第二幼稚園」
として三川町(現在の広島宝塚
会館の前)に開園しました。
本園は「無料幼稚園」として出発し、当時経済的に困難を覚える家庭とそこに暮らす家族
の生活という社会と人への「共鳴」が保育者に求められたのに対応しました。
専門的な訓練を受けた保育者はひんぱんに家庭を訪問しながら実践の保育と共に訓練を続
けたということです。
フレーザー幼稚園は「人と世に仕える幼稚園」として出発したのでした。
1907年に「(1907〜1941年まで開校されていた)フレーザー英語学校」と共に「フレ
ーザー幼稚園」という名称となりました。これはアメリカのノースカロライナ州ハイ-ポ
イント在住のフレーザーという名前の人物が「フレーザー学校(幼稚園と英語学校が併設)」
建設のためにと5,000ドル(日本円で4,000円)の献金を送られたことを記念し命名され
ました。
その後、1929年に雑魚場町
(現在の国泰寺町元広島大学
付近)に移転し同時に創立され
た 「日本メソヂスト広島南部
教会」附属の幼稚園となりま
した。 4年後の1933年に二
階建に改築した直後、漏電に
よる火事で全焼、翌年建設費
8000円を かけて再建されま
すが、その10年後に道路拡張
工事(現在の国道2号線)のため
数百メート ル東の南竹屋町に
移転します。
第二次世界大戦の時代にはカ
タカナを用いることが許されな
かったのか一時「愛美幼稚園」
という 名称となっています。
移転の直後に幼稚園・教会は
原爆によって被爆し再び全焼
しました。
田頭千代吉園長夫妻をはじめ、数知れぬ園児や保護者たちが核の犠牲に会われました。
敗戦と共に休園、1953年に現在の地、宇品で再開園しました。1964年には広島市内で初
めての図書室を設置し、絵本800冊を備えました。1976年に現在の園舎に改築し1982年
には学校法人となり、現在に至っています。
嵐のようなきびしい試練を負いつつも子どもたちの園にあふれる笑顔によってフレーザー幼
稚園が守られ、育てられてきました。
原爆という瞬時の出来事が歴史を消し去ってしまったという事実を強く知らされます。
田頭園長夫妻や園児たちの原爆死は永遠に忘れられてはならないことを心に刻みつつ、多難
な中にこそ共にいてくださる神の力を確信していきたいと願います。


Fraser Kindergarten